僕も「さなぎタイム」を経験した

元ネタはこの記事

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 僕が「ひきこもり」としての人生を歩み始めたのは、12歳の頃だ。

 きっかけは中学校受験だった。

 塾に足繁く通ったおかげで、志望校に合格。塾の先生は喜び、母親は自慢して回った。塾のクラスメイトと一緒に電車に乗り、一人、また一人と下車するのを見送りながら登校したのを今も覚えている。

 ここから僕の青春が始まるんだと信じていた。

 

 小学校上級生のころの生活は散々だった。いじめられて、登校拒否し、親に手を引かれて午後から登校する日々。そんな僕を見つけて校舎から手を振る他のクラスの生徒たち。恥ずかしくてたまらなかった。いつしか、家どころかトイレからも出れなくなり、精神科医の診断を受けることになった。

 病名は「過敏性腸症候群」。つまり、精神的なものというわけだ。「いじめや受験によるストレス」とも。

 僕は一歳半の頃に腸閉そくで手術を受け、盲腸を切除している。親父はなにかあるたびそのことを引き合いに出し「お前は腹が弱いからな」とバカにしてきた。午後から登校するようになったときは「社長出勤」「重役出勤」、「過敏性腸症候群」と診断された時も苛烈だった。塾の月謝、将来必要になる入学金、高額の学費、修学旅行先が海外であることによる高額の旅費。全部無駄にするのか、といちいち金額をあげながらまくし立てられた。父にとっては投資であり、それは不本意なものだった。

 そして、念仏のように繰り返し聞いた言葉。

「俺には地元にコネがある。高校さえ出れば、水道局に入れてやる」

 なぜ高校? なぜ水道局? と不思議に思うかもしれない。無理もない。ただ、親父は中卒であり、強烈な学歴コンプレックスがあった。そして、社長令嬢と結婚して婿入りし、逆玉の輿を成功させた人でもある。当時すでにおふくろの実家の会社は倒産して、母方の祖父母も自己破産していた。だから、親父として誇示できるのはそれぐらいしか残されていなかったんだと思う。

 僕はそれが、自分の人生をコントロールされる呪詛のようで、嫌で嫌でしかたがなかった。だから、中学受験をしたんだ。狙うは中高一貫の学校。そして、高校を卒業したら上京しておさらばだ!

 

 中学校に入学してからは、鍛え直すつもりで部活動もはじめた。
 校内での活動期限は6時。完全下校は6時半。電車に揺られて帰宅は七時半。
 夕食を済ませて、風呂はシャワーで手早く済ませる。そこから宿題をやって寝るのが0時。起きるのが6時。
 あ、あれ……?

 そう、趣味の時間がない。そして、これに体調不良か加わる。トイレ1回20分のロスがボディブローのように効いてくる。
 人生で初めて、土曜に寝て日曜の夜におきる体験をした。塾の合宿でさえ、こんなことなかったのに……。

 

 腹痛や睡眠不足か重なり、いつしか物事に集中できなくなっていた。頭の中から主義主張が消えてしまい、物申すことなどできない。
 ただ、辛いといえばよかったのに。

 今にして思えば、あの学校は文武両道を掲げ、部活動には強制加入。校門前の校舎には全国大会出場を祝う垂れ幕がいくつも吊れていたから、マッチョ志向すぎて言い出せる雰囲気ではなかったのかも。


 頭が霞みかかったようにもやもやして、肩こりがひどく、両目は眼圧が上がったかのように痛い。意味もなく突き指し、理由もなく筋肉痛になる。成長痛に、学校指定の革靴による靴擦れも合わさり、満身創痍だった。いつしか僕は登校できなくなっていた。
 鬱だから不登校になったのか、病気だったから鬱になり、不登校になったのか。それはよくわからない。
 一つ間違いないのは、学校にいかないところで、気は休まらなかったということ。いつものように担任から電話がかかってきて、親は留守で、僕が受話機を取らなければ鳴り続ける。
 支援室があるんだから別室に登校しろ、学校にだけは来い。担任の立場はわかるが、嫌がらせのように思えた。中学時代の学校での思い出は何一つなく、僕の青春はいつの間にか終わっていた。

 

 このころ、おふくろが一台の家電機器を持ち帰ってきた。ノートパソコンだった。いつものようにワープロの感熱紙を買いに行ったところ、取り扱いを終了したあとだったという。そこで家電屋にいったところ、ワープロの用紙よりも、ノートパソコンを勧められた。

 やれ「ノートパソコンならペーパーレス」とか、「ノートパソコンならサポートも充実」とか。結局のところ、親父の商売相手も高齢者だから、ノートパソコンで書類を作成したところで、メールではなくFAXで送ることになるのだが、それはまた別の話しだ。

 母はこの話を真に受けて、MicrosoftOfficeをプリインストールしたノートパソコンを買ったというわけだ。保証込みで20万円を超える買い物だった。

 OSはあのWindowsVista。メインメモリは1GBだった……。

 なにをやるにしても、まず起動が遅い。書類作成をしようにも、やり方はわからない。おふくろは手書きで書類を作成する原始的なスタイルに回帰し、瞬く間にタンスの肥やしとなった。

 

 それを僕が拝借した。当時は無線LANだった。あまりにも接続しずらいので、ADSLに変えてもらった。

 だけど、やれることは限られた。ブラウザの立ち上がりは遅い。すぐにフリーズし、マウスの操作を受け付けなくなる。

 ネットはエロで詳しくなったという人が多いみたいだけど、そんなレベルじゃなかった。行きつく先はラジオだった。といっても、YouTubeに転載されたラジオだが。

 そしてある日出会ったんだ。

 居た堪れなくなるほど下手くそな手書きのセイバー(むろん、当時はFateなんて知らなかった)をサムネにした、自主製作ラジオ「はつゆきラジオ」に。

 投稿者はノトフ。大学生のようだった。友達を集めては、サークルのノリで時事ネタについて語り合う。

 ラジオなんてまともに聞いたことがなかった僕には、すべてが新鮮だった。

 いい歳した大人がアニメについて語り合ってる!

 誰もオタクであることを隠していない!

 というか、ラジオを自分で作っちゃっていいの?

 夢中になって過去アーカイブを漁った。時間だけはあったから、苦ではなかった。

 いつしかそこで再三言及されている「かーずsp」という個人まとめサイトを見るようになった。古風なデザインで、管理人の興味を引いた記事を毎日羅列するだけのサイトだ。

 だけど、いつしかNHKの「ネットスター」で取り上げられたり、管理人自ら声優と一緒に自主製作ラジオを投稿するようになっていた。

 ノトフも大好きな桃井はるこさん(ネットスターの出演者でもある)を自室に招いてライブ配信したり、なぜかついてきた長島自演乙雄一郎も映ったりと、カオスだった。

 

 こうして僕はサブカル文化にどっぷりはまり、わりと早い時期からTwitterを利用していた。そして2018年になってトレンド入りしていたハッシュタグからアノニマスダイアリーにたどり着き、あの日記を書いたわけだ。

 僕はひきこもって10年選手。みんなが学園アニメに共感できる程度の青春を送ってる間、ずっと自室か病院か病棟で涼んでいた。だから学園もののアニメを見てもこれっぽっちも共感できず、思い出に浸れていいよなぁ、と内心嫉妬してる。Twitterのタイムラインは賑やかでも、僕はぼっちだ。

 だけど、あの時間がなければ、それこそただのぼっち、それもクローン病のひきこもりで終わっていたはず。

 しょこたんの「『さなぎタイム』と思えばいい」という言葉には頷くほかない。そして、こんな肯定的な評価をできる心理状態にしてくれた、ひろゆきと雇ってくれた会社には感謝しかない。

 ありがとう。