クローン病なADHD

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殴り返さなくていいのか?

学校でいじめられるたび、父から「やられたら、やりかえせ」と言われて育ってきた。

僕の学校はどういうわけか僕の学年だけ荒れていて、荒れている生徒だけを集めたクラスで強権的な教師が担任として面倒を見ていた。

だが教師は1人だけ。生徒は30人を超える。

どう考えてもコントロールするには無理がある。監視の目をかいくぐって身体的、精神的ないじめが起こっていた。

学生ながらケータイやパソコンを所有する子もいて、学校裏掲示板が話題になっていた時代だ。そも「学校」の、それも「教室」だけを監視するだけでは限界があった。今になって思えば、本来はもっと別の施策をするべきだったと思う。

 

学校でおきるいじめはヒエラルキー最下層の連番制だ。

持ち回り制といってもいい。

多くの場合、男子によるいじめの対象は鼻くそを食べてるような女子か、群れない男子たちだった。

図書室に入り浸っていた僕は当然群れなかったし、ドッチボールでもわざと狙われず最後のほうまで残るような立ち位置だった。

いっぽうで、いじめやすさという指標が別にあって、ヒエラルキー最下位でも殴られたら殴り返す限りは、その指標で赤点を取って優先度が下がる。

 

教師はいじめの実態を認めないし、人の尊さを教えるために「はだしのゲン」のようなアニメを見せるやつだ。

人種がいじめる要因になるなんて話はしない。グロ映像を見せるだけの、ショック療法だった。

暴力に対する恐怖を教えるだけ。

あくまで「いじめはだめ」とは教えないのだ。

だっていじめは起きていないから。

 

そんな状況でいじめが起きるとどうなるか?

「先生!◯◯君たちが喧嘩しています。」

喧嘩ではない。

複数人で囲って行ういじめだ。

だが、抵抗すればその瞬間「喧嘩」になる。

そしていつも事情を聞かずにお互い謝罪することを命じられる。なんで殴られたのに謝らなければいけないのか不満だった。

 

サンドバッグでない限り、いじめはいつも喧嘩両成敗でおわる。いいかえればどれだけ殴っても両成敗なのだ。

盲点だが、そのことに気がついた時には天啓を得た気分だった。

殴られたのなら、殴り返せばいい。

喧嘩を売られたのなら、こちらから売り返せばいい。なにも宣戦布告する必要はない。

そんなディティールに教師は拘っていない。

給食の時はみんな前を向いて座っている。

おかわりをもらうふりをして、後ろから殴りかかればいい。身長差があっても最低1発は殴れる。

喧嘩を売ってくるようなオラついたやつだ。相手も手を出してくる。

おおごとになって、先生が割って入り、両者が謝って試合は終了だ。

 

やられるだけじゃおわらせない、最後はこちらのパンチでおわらせる。

そうやって自分の自尊心を保ってきた。

僕がまともに学校に通い、集団生活を送ったのはせいぜい小学生までだ。

だからこそ、その経験は集団生活を送っていく上でのものさしになる。ネットでも、リアルでも。

 

誰かがいじめられて泣いていたら、「ひどい」や「だいじょうぶ?」よりも、「腹は立たないのか?」「やりかえさなくていいのか?」と声をかけるだろう。

いじめられた側に追い打ちをかけたいんじゃない。

僕がいじめられた側だったら、はらわたが煮えくり返って、いじめてきたやつらをぶっ殺してやりたいと思うからだ。

それを他人の目を気にして自制しているのであれば、背中を押してあげたい。君にはそれだけの大義名分がある。ただそれだけだ。